ミュージカル『エリザベート』トートとは?「死」の表現を解説

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トートとは

ミュージカル『エリザベート』で特徴的なのが、

「死」を擬人化したことです。

ドイツ語の「死」を意味するder Dod(トート)がそのまま「トート」という役名になっています。

トートとはドイツ語の「死」です。

『エリザベート』で「死」はどのように表現されているのでしょうか。

ヨーロッパの「死」の概念についてもわかります。

「トート」とは何なのか?と疑問に思う人の一助にしてください。

目次

概念としての「死」を舞台に

日本版だと黄泉の帝王として描かれる「トート」

死者の世界を支配する冥府の王、生と死をつかさどる存在です。

ウィーン版ではトートは der Dod つまり「死」の概念そのものです。

単純な概念としての「死」にすぎません。

黄泉の帝王、ギリシャ神話でいうとハデスのような存在にしたのは、日本版ならではの脚色です。

悪魔とか堕天使に愛される人間や天使の話は、漫画や小説でよく見かける設定です。

吸血鬼との恋、なんていうのもありますよね。

禁断の恋愛、許されざる恋、のような背徳的で耽美的な雰囲気があるので、

「黄泉の帝王」が受け入れられたのでしょう。

ウィーン版で「トート」は概念としての「死」です。

脚本には「ロックスターのような」をト書きがついていますが、

若く、生気にあふれたエネルギッシュな役になっています。

また、

宝塚版のために書き下ろされた「RONDO」(愛と死の輪舞)には、

「黒い王子」の副題がついていて、

シシィがトートのことを「黒い王子」と呼ぶ歌詞があります。

少女にとって魅力的な存在、おとぎ話の王子様のようにロマンチックな存在として表現されています。

ヨーロッパでの伝統的な「死」の表現

死の表現

「死」の概念を擬人化する方法は、古くからありました。

14世紀にヨーロッパを襲ったペスト(黒死病)をきっかけに、人はいずれ死ぬものだという厭世的な人生観が広がります。

絵画や壁画には、腐敗しかかった屍や、骸骨、黒衣の老人が老若男女問わず人間と手をつないだり、肩を組んだりして行進していく様子が描かれています。

これは「死の舞踏」と言われ、各地の礼拝堂や納骨堂の壁画などに描かれる伝統的なモチーフとなっています。

このように伝統的な「死」の表現は、黒衣をまとった骸骨や老人、というのが常識でした。

それを、若くて生気に溢れた存在として描いたこともミュージカル『エリザベート』の特徴といえるでしょう。

「トート」とは?死があって生がある

RONDO(愛と死の輪舞)で、命を奪う「死」がエリザベートの命を奪わず生かします。

なぜ生かしたのか?

ここがよくわからないという人もいるかと思います。

フィクションなんだから死んじゃったら意味ないじゃん、という身も蓋もない声も聞こえてきそうですが、

ここで死がシシィを生かすことには意味があります。

愛と死の輪舞のロマンティックな歌詞

トートは生きたエリザベートに愛されたいから「生かした」

本来は命を奪わねばならないのに愛ゆえに禁断の行動に出たという日本版のロマンティックな歌詞、演出が魅力的です。

一方で、

ドイツ語の歌詞を読んでみると、

エリザベートとトートは互いのまなざしがお互いを理解し、互いの中に自分が存在していることに気づかされています。

お互いの中に自分を見つける、

あなたの中で生きたい

そんなロマンティックな言葉は

真実の愛を幻想的に表現しているととれます。

ですが、この表現はロマンティックなだけではありません。

フロイトの「死の本能」

1920年精神分析学者フロイトは『快楽原則の彼岸』の中で、

死の本能という概念を提唱しました。

生きるものはすべて、生の本能によって物事を創造していくけれど、その一方でそれを破壊し無に帰ろうとする死の本能にも支配されている、というものです。そしてまた無から創造します。

生きることは死に向かうことであり、死は再び生きることでもあるのです。

『RONDO』の歌詞には、

「夜がなければ光はない」

「死なくして生はない」

とあります。

少女時代の自由奔放なシシィは「生」そのもの。

「死」に触れたことで、自分の中に死がある

「死」もまたその内部に生を含んでいることに気づいたといえるのです。

愛は生の本能であり、生きることはすなわち死へ向かうこと。

死はまた新たな生へ向かう。

生きるものの営みはこの循環の中にある。

RONDO、日本語訳の「愛と死の輪舞」にはフロイト的な観念が込められていると思われます。

若く生気にあふれた「死」

フロイト的な概念は「死」の外見にも表れています。

伝統的な「死」の表現が屍、老人や骸骨だったのに対して、

エリザベートで描かれる「死」は若く、エネルギーにあふれ、ロック調のナンバーを歌い上げます。

衣装も白。

死がその内実は生へ向かう本能であること、死の中に生があることを表していると考えられます。

一方でシシィは、「死」のその外見に関わらず、

「黒い王子」と呼んでいます。

「他の人が恐れようとも私はあなたを認める、あなたは私を見抜いて私の中にあなた自身を映している」

自分の中にある死の存在を認めています。

そして、互いに身をゆだねるまで互いの中で生きたいと歌うのです。

「死」への「愛」のミュージカル

悪魔、死神、黄泉の帝王…

邪悪なものや恐ろしいもの、怖いものに対して人が倒錯した魅力を感じるのは、

小説、漫画、映画などでよく表現されることからもわかるでしょう。

このミュージカルもその類に漏れません。

「死」に対する「愛」は

背徳的な魅力、禁断の愛といったロマンスを超えて、

命あるものが生きる本能であり、死へ向かうという生の営みだということ、

「生きる」を突き詰めることであると感じさせられます。

ぜひ、トート=死の表現にも注目してみてください。

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この記事を書いた人

つきねこ(絹川詩乃)
ミュージカルの観劇をきっかけに皇妃エリザベートに沼る。
ドイツ語、ドイツ文学、宗教学を専攻。
オーストリアに留学。
執筆:『ミュージカルエリザベート全楽曲解説』『皇妃エリザベート~ハプスブルクの華~』

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