ミュージカル『エリザベート』はよくわからない?理由を解説

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エリザベートよくわからない

ミュージカル『エリザベート』は1992年にオーストリア・ウィーンで初演され、

日本でも宝塚版・東宝版として何度も再演されているミュージカルです。

初演から30年をたって、もはや定番といえるこのミュージカル、

人気があってチケットが取れない演目の一つである一方で、

よくわからない、なぜ人気があるのか理解できないという声もあります。

なぜよくわからないと言われているのか、理由を解説していきます。

私は、ミュージカルを観てドはまりしたエリーザベト好き。

ドイツ語を勉強し、ドイツ文学を専攻しています。

エリーザベト好きが高じてこのブログを作り、書籍も執筆しています。

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目次

エリザベートがよく分からないと言われる理由3つ

友人の感想を聞いたり、エリザベートを観た感想のpostをみていると大きくわけて3つの理由があるようです。

エリザベートがよくわからないと言われる理由
  • エリザベートが死(トート)を受け入れるタイミングがよくわからない
  • ルキーニの役割がよくわからない
  • エリザベートに感情移入できない

詳しくみていきますね。

疑問1:エリザベートがトートを受け入れるタイミングがわからない

長女ゾフィーを失ったとき、夫フランツヨーゼフに裏切られたとき、

エリザベートの絶望した心にトートが寄り添い、死へ誘惑します。

ですが、エリザベートはトートを拒否し、生きることを選びます。

息子ルドルフが死んだとき、後悔と絶望で、トートにすがりますが、トートは、「まだ自分(死)を愛していない」とエリザベートを拒みます。

そしてようやくエンディングになってエリザベートは死を受け入れます。

ルドルフの死の後、どこでトートを受け入れたのか、愛するというところまで至ったのかがよく分からず、エンディングでエリザベートとトートが結ばれるハッピーエンド的な演出になるのかがわからない。

エリザベートが死を愛することになるタイミングが分からず、よくわからないという感想をもつ人がいるようです。

私が思うに…

史実を元にしているから死を受け入れるのは実際の暗殺の時にするしかない

これを言ったら元も子もないじゃん!

なんていわれそうですが、でもしょうがないよね。

実在した人物と架空の人物を登場させてるんだから……

エリザベートは19世紀の激動の時代を生きたオーストリア皇后です。

2世紀前とはいえ、細かな日付まで残っている以上、史実を曲げるわけにもいきません。

ルドルフの死の直後、墓所の暗闇で棺にすがって泣き崩れるエリザベートの姿が目撃されていて、

絶望の淵にあったことは想像できます。心身ともに衰弱し、自ら死を望んでいたと言われています。

「皇帝の悪夢」にも描かれていますが、

ルドルフの死と前後して、3か月前には父マックス公爵を、翌年には姉ヘレーネ、母ルドヴィカ、そして長年の友人アンドラーシ伯爵を亡くしています。

愛する人を立て続けに亡くして、エリザベートはただでさえうつろな人生に拍車がかかり、自ら死を願うような空虚な流浪を続けるのです。

精神状態も不安定で、ハンガリー建国祭で目撃された姿は、黒い喪服に身を包み、その顔に生気はなく、真っ白で彫刻のようだったと言われています。

ミュージカルでは、ルドルフの死の際にトートに自分も連れていってくれと願い、

「まだ私を愛していない」と突き放されました。

史実ではルドルフの死後、娘にあてて「このまままだ生きていかねばならないなんて」などと言っています。

エリザベートにとっては死ねないから生きている、という状態だったのかもしれません。

死の影はずっと寄り添い、親しい人たちを次々に失ってようやく死に逢えた。

時が満ちた、という表現に尽きるのだと思います。

疑問2:ルキーニの役割がよくわからない

物語はエリザベートを殺害した犯人、ルキーニが100年間も裁判にかけられているシーンで始まります。

エリザベートと死の物語の進行役、狂言回しをするのですが、

ルキーニが何の役割をしているのか、どういう立場で出てきているのかよくわからないという感想があります。

ルキーニは、エリザベートを暗殺します。

無政府主義者と呼ばれ、逮捕されたときには、腐敗した貴族社会を憎むあまりの犯行で「貴族であればだれでもよかった」とうそぶいています。

ですが、実際には主義主張があったわけではなく政治活動をしていたわけでもない無職の放浪者でした。

流浪の皇后を暗殺したところで、体制に何の変化も起こりませんでした。

だからこそ、ただエリザベートを死に至らしめるためだけの死の手駒のように見えてきます。

ルキーニは当時の帝国民感情を代弁する

ルキーニを代表するナンバーの「キッチュ」はまがい物の意味。

ウィーンでたくさん売られているシシィグッズを掲げて、みんなまがい物だと歌います。

エリザベートが、没後これほどまで神話的な存在になるなんて、

当時の人は誰も思わなかったでしょう。

普段から引きこもりがちで、皇妃としての外交儀礼上の義務を果たさず、関心事は自分の美貌だけ。

自己中心的だと思われていました。

皇妃の死に際した人々は嘆き哀しみましたが、それはエリザベートに対してというよりも「私たちの」皇帝に対する同情からだったといわれています。

義務を果たさず、逃避してばかりの皇妃にはすでに失望しきっていたのです。

そんな当時の帝国民、市民の感情を代弁するのが、ルキーニです。

「シシィはエゴイスト」

「スイス銀行に隠し口座をもってる」

エリザベートという人物がおとぎ話のお姫様なんかではないことを観客に突きつけます。

ルキーニに関しては、母親からの愛情を受けずに育ったので、

エリザベートに母親を重ねるように演出されているという考察もあります。

自分が姑のゾフィーに勝つためだけにルドルフを取り戻し、

だがほったらかしにする母としての姿に、自分を捨てた母を重ねているというのです。

疑問3:エリザベートに感情移入できない

主人公のエリザベートに感情移入できずに、よく分からない、人気がある理由がわからないと感じる人も少なくありません。

とくに、後半部分以降のエリザベートの言動や行動が共感できないと感じている人が多いようです。

バイエルンの田舎でのびのびと自由に育っていたのに、

突然皇帝に見初められて皇后になってしまったシシィ。

堅苦しい宮廷生活に息がつまり、夫は頼りがいなく、姑からはいじめられる……

そして世継ぎを産むことへのプレッシャー。

シンデレラストーリーのその先を見ているようで、

このあたりはとくに女性から共感を得られるのではないでしょうか。

伝統的な家に嫁いだ女性の苦しみや哀しみは同情をさそいます。

産まれたばかりの娘には姑の名前を付けられ、すぐに取り上げられてしまいます。

当時シシィはまだ17歳。子育てには幼すぎるというのです。

2人目の子供もすぐに姑に取り上げられ、早く男子を産むようにと言われます。

そしてようやく生まれた男子は立派な軍人にするべくまだ幼いのにスパルタ教育を受けさせられ、

虚弱なルドルフは何度を体を壊しています。

見るに見かねたシシィは、夫フランツヨーゼフに掛け合い、

ルドルフの教育を自分にまかせるように頼みます。そして、

「お母さまか私か」どちらかを選べと最後通牒を突きつけます。

結局、フランツヨーゼフはエリザベートを選ぶと言い、

エリザベートは勝利するのです。

ここまでは、抑圧されてきたシシィが自分を虐げてきた宮廷や姑に勝ったのだとカタルシスを得たような感覚で、

共感する人も多いのではないでしょうか。

さて、ここからです。

シシィが息子を取り戻し、文化系の教育をうけさせるようになるとルドルフは才能を発揮しはじめます。

軍人としてではなく学問の方に才能があったようでした。

ですが、必死の思いで取り戻したはずのルドルフにエリザベートが母としての愛情をそそぐことはありませんでした。

ルドルフに宮殿で一人寂しい思いをさせておいて、エリザベートは変わらずに逃避行を続けている…

ハンガリー王妃として戴冠し、勝った、自由だと高らかに叫ぶ姿に違和感を感じたという人もいるのではないでしょうか。

ルドルフの養育権を勝ち取ったのは、姑への当てつけで、ゾフィーに勝つためだけにルドルフを利用した。

勝ち取っただけで、子供を養育する気などさらさらない、エリザベートはただのエゴイストだ、とルキーニが歌います。

皇妃としての外交儀礼の義務を果たさず、ウィーンには寄り付かない。

しかも苦労して取り戻した子供はほったらかしで、愛情をみせるわけでもない……

この人あまりに自分勝手すぎやしないか?

そんな疑問から感情移入できなくなる人が多いです。

実際、エリザベートはエゴイスト、自己愛の強い人物で、興味と関心は自分の美貌だけ。

長い間そんな評価がされてきました。

そんな彼女の一面を表す演出であり、表現がされていると思われます。

エリザベートが母親らしく愛情を注いだのは末娘のマリー・ヴァレリーでした。

ルドルフの養育権を姑ゾフィーから取り戻してから2年後に生まれています。

ルドルフはその間のわずかな期間だけ、子供らしく満たされた時間を過ごしています。

年の離れた妹が生まれて、母親の愛情はそちらにいってしまった、というのが実際のところだったのかもしれません。

エリザベートは末娘には、上の子たちにできなかった分の愛情をすべて注ぎ込み、

まさに目の中に入れても痛くないほど溺愛したといわれています。

自分の手で育て、ハンガリー式の子育てをし、旅にも連れていきました。仲の良い親子であり、姉妹のようだったともいわれています。

あまりの溺愛ぶりに皇帝の子供ではないのでは?と言われたほどでした。

マリー・ヴァレリーへの態度をみるにエリザベートは子供に対する愛情に欠けた人ではありませんでした。

いくら養育権を勝ち取ったとはいえ、ルドルフがいずれ皇帝になるという進路は変えようもなく、

未来の皇帝である以上、エリザベートがルドルフに対して娘と同じように接することは難しかったのだと思われます。

よくわからないからこその魅力

ミュージカル『エリザベート』は壮大なテーマと音楽の美しさで国を越えて人気のミュージカル。

ですが、史実で語られる彼女の人生は、肖像画の美貌からは想像ができないほど過酷で波乱に満ちたものでした。

ミュージカルで描かれるのはエリザベートのすべてではありません。

本を読んだって、どんなに考えたって彼女の人生の全てを理解できるわけではありませんし、

ミュージカルの歌詞にもあるように、彼女の人生の意味を求めても意味はないかもしれない。

でも、何とかしてその意味を知りたくなってしまう。

理解したように見えても、もっとわからない面が出てくるので、結局終わりがない。

それがエリザベートの魅力なのかもしれません。

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この記事を書いた人

つきねこ(絹川詩乃)
ミュージカルの観劇をきっかけに皇妃エリザベートに沼る。
ドイツ語、ドイツ文学、宗教学を専攻。
オーストリアに留学。
執筆:『ミュージカルエリザベート全楽曲解説』『皇妃エリザベート~ハプスブルクの華~』

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