ミュージカル『エリザベート』は1992年ウィーンにて初演。日本では1996年に宝塚歌劇団が初演、2000年に東宝版が初演し、以後楽曲を加えて何度も公演が重ねられているミュージカルです。
エリザベートとトート、そしてフランツ・ヨーゼフの物語は、19世紀の激動のヨーロッパ情勢、ハプスブルク帝国の崩壊への序章を背景にし、当時の思想的背景も盛り込まれています。
歴史的、思想的背景と楽曲の筆者の推しポイントを紹介します。
ウィーンオリジナル版と日本版(宝塚・東宝)との違い
1992年にウィーンにて初演されたミュージカル『エリザベート』。
これを輸入したのが宝塚歌劇団でした。
男役が主人公である必要があるので、トートを主役にした構成に大胆にアレンジされています。
オリジナルがトート(der Tod )『死』というシンプルな概念を擬人化したものだったのに対し、
黄泉の帝王として威厳があって妖艶な存在となっています。
東宝版ではエリザベートが主役の構成ですが、トートは黄泉の帝王として君臨しています。
オリジナル版はトート=死という概念を擬人化した存在として描かれます。
「閣下」と呼ばれるような威厳ある存在ではありません。
この「トート」という存在、「死」を擬人化したことがこのミュージカルの大きな特徴です。
いわゆる死神といえば黒衣をまとい、大きな鎌を持った骸骨、または老人として描かれることが多いです。
ですが、トートは若く、生気に溢れていてエネルギッシュ。
脚本には「ロックスターのような」と書かれています。
外見はシシィが傾倒していた詩人ハインリヒ・ハイネ、ロック歌手のデヴィッド・ボウイをモデルとしています。
死を生気あふれる若者として描くのは生と死が表裏一体、死の欲動と生の欲動という心理学者フロイトの精神論とつながります。
第1幕
プロローグは、死後の世界で皇妃エリザベートを暗殺したルキーニが裁判を受けている場面からはじまります。ルキーニは死後100年間同じ裁判にかけられています。皇后暗殺の背景を聞かれたルキーニは、エリザベートが望んだからだ、と答えます。
ALLE TANZTEN MIT DEM TOD 我ら息絶えし者ども
証人として呼び起こされるエリザベートと同じ時代を生きた亡霊たちの歌ではじまります。
エリザベートの夫フランツ・ヨーゼフ、息子ルードルフ、父、母、義母……
彼らがめいめいエリザベートについて語る混沌のような掛け合いから、大合唱につながります。
「皆、死(トート)と共に踊っていた。だが誰もエリザベートのようではなかった」
華やかなウィーンの街ですが、17世紀にはペスト(黒死病)に襲われています。
19世紀の激動の時代、閉塞感を抱えていた人々にとって、
「死」が自分たちの傍にある存在、何かのきっかけに死に飲み込まれるかもしれないという意識が根底にあったということを暗示します。
WIE DU パパみたいに
場面はエリザベートの幼少期に移ります。
エリザベートはドイツ・ミュンヘンのヴィッテルスバッハ公爵家に3番目の子供として生まれました。
ヴィッテルスバッハ家は11世紀から続く由緒ある名家でしたが、当主のマクシミリアン公爵は、古いしきたりや偏見にとらわれない陽気で進歩的な人物でした。
ツィターを演奏し、詩も読み、絵も書きました。邸宅の中庭には劇場を作り、自前のサーカス団を興行させ、自らもアクロバット乗馬を披露したりもしました。
ふらりと旅に出てエジプトやギリシャ、トルコなど気ままに旅をする自由人。
そんな父親の元に育ち、シシィの愛称で呼ばれたエリザベートは開放的で野性的な少女時代を過ごします。
少女時代のこの曲に、自由を愛し、自然や動物を愛する彼女本来の気質が表れています。
この日は親戚がやってくるのですが、マクシミリアン公爵はいそいそと愛人の元へ出かけようとしています。公爵にはシシィの母ルドヴィカとの間に8人の子をもうけますが、愛人との間に腹違いの子供もいます。
シシィも連れていってとねだるのですが、父に断られるのです。
「パパのように世界中を旅してジプシーのように暮らしたい」と語ります。
RONDO-SCHWARZER PRINZ 愛と死の輪舞
気絶したエリザベートは気付くと生と死の狭間にいました。
そこで死(トート)と出会います。
互いに一目ぼれする二人。
トートは「あなたの眼差しが私を理解した瞬間からあこがれは明瞭になった 私は愛され、あなたの希望になりたい」と歌います。
エリザベートも「あなたは私を見抜いたわ、黒い王子様。私の中にあなたが映る。あなたのそばにいさせてほしい」と答えます。
「使命を果たす代わりに私は愛されたい あたなが身をゆだねるまで 私はあなたの中で生きたい」
死としての使命=命を奪う代わりに、あなたに愛されたいのだと言ってエリザベートを生かします。
ウィーンオリジナル版にはなく、宝塚歌劇団で上演するに当たって書き下ろされたナンバーです。
その後ウィーン版でも追加されました。
男女の恋愛関係にスポットを当てたロマンチックな曲になっています。
第2幕
ルキーニが1人で登場し、2幕が開けます。
キッチュ
フランツ・ヨーゼフとエリザベートがハンガリーの国王として戴冠する日。
ルキーニが記念品を売っています。
明るくてポップな楽曲です。
キッチュは「まがいもの」の意味。
エリザベートがルドルフの養育権を取り戻したのは、
子供のためなどではなく、ゾフィーへの対抗心からだ、
彼女はただのエゴイストだと歌います。
当時の人々のエリザベートに対する評価はルキーニが代弁しています。
「エリザベートはエゴイスト」
皇妃の務めを果たさずにダイエットや美容にばかり気をつかっている。
宮廷や皇太后への対抗心をむき出しにしている、というのです。
エリザベートは当時の人に「愛された」皇后ではなかったでしょう。
国民のために働いていたのは皇帝で、彼女はそれを支えるべきだったのにそれを放棄して逃避したのです。
ですが、ルキーニが見せるようにウィーンではエリザベートの肖像画をプリントしたおみやげがたくさん売られ、映画になり、本になり、こうしてミュージカルにもなって大陸を超えてヒットしています。
エリザベートがこれほど人を惹きつけるのはなぜなのか。
その美貌、柔らかな笑みの背後に、宮廷との軋轢であったり嫁姑問題など決して幸せとはいえないものを抱えているから、なのではないかと思えるのです。
「何が彼女をアイドルにしたのか」
「なぜ彼女はうらやましがられるのか」
彼女の美しさを今に伝える写真や肖像画が残っているからこそ、考えさせられる、それこそが彼女の魅力なのかもしれれません。
ELJEN エーヤン
1867年、エリザベートはハンガリー王妃として即位します。
ハンガリーが自治権をもつ王国となります。両国の妥協によってオーストリア・ハンガリー二重帝国が生まれたのです。
オーストリアにとっては延命を図るための手段でしたが、ハンガリーにとっては悲願でした。
これに尽力したのがエリザベートです。
エリザベートのハンガリーびいきは婚約時代にさかのぼります。
ハンガリー出身の歴史学者による講義をきっかけにエリザベートは自由を求めるハンガリーの精神やエキゾチックな文化、ジプシーの踊りに彼女は心酔したのです。
そこにハンガリー嫌いのゾフィーに対する反発がなかったとはいえません。
ですが、勉強嫌いのエリザベートがあっという間にハンガリー語をマスターし、側近をハンガリー人で固めるなど情熱を傾けました。
エリザベートの尽力があって、ハンガリーは長年の悲願を達成し、自治権をもつ王国となったのです。
フランツ・ヨーゼフ夫妻が君主に即位するオーストリア・ハンガリー二重帝国の誕生です。
ハンガリーの人々はエリザベートを熱狂的に迎えます。
「エーヤン、エーヤン、エルジベート!」
ハンガリー語で「万歳」と叫びます。
WENN ICH TANZEN WILL 私が踊る時
戴冠式の熱狂の中、死が現れます。
「最後のダンス」では恐ろしさに翻弄されたエリザベートですが、ここでは自信と威厳にあふれたデュエットを披露します。
死とエリザベートの競うような掛け合いがボレロ調の楽曲で表現されます。
「私はもう操り人形じゃない。私が踊る時は、私が選んだ音楽で私の好きなように踊る」
全曲の解説はnoteで公開しています。
ウィーンオリジナル版についてもっと知りたい方、
日本語版と比較してみたい方はぜひ。
noteはこちら↓↓
https://note.com/mitsisi/n/ncec696830182
ミュージカルエリザベートのCD・DVD
ウィーン版のミュージカルエリザベートを収録したDVDです。
「ROND」愛と死の輪舞を除く全編が収録されています。
初演のCDです。
日本語の訳詞がついています。
この時まだなかった曲、ロンド、私が踊る時は含まれません。
2012年ライムントシアター版。ロンド、私が踊る時も含まれています。
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