美への執念・皇妃エリザベートのダイエットとは

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ヨーロッパ随一の美貌の皇妃とうたわれたオーストリア皇妃エリーザベト。

(日本語ではエリザベート表記が定着していますが、ドイツ語の読み方に合わせて本記事ではエリーザベトと表記します。)

身長172㎝、体重48㎏、ウエスト50㎝

驚愕のスタイルの影には血のにじむようなダイエットがありました。

今ではダイエットやエクササイズは当たり前のことですが、

19世紀後半でダイエットや運動をする人というのはごくまれでした。

今では絶対にマネしてはいけない方法ですが、

彼女はどんなダイエットをしていたのか解説します。

目次

極端な食事制限

結婚前は、ふっくらとしていたバイエルンの田舎娘といわれていたエリーザベト。

結婚して10年近くたって、20代後半にさしかかった頃には、

ヨーロッパ一の美妃と呼ばれるようになりました。

16歳で結婚、17歳で第一子を出産し、翌年第2子、20歳で第3子を出産。

産後太りを恐れて、スリムなスタイルを保つために、ダイエットに励んでいました。

身長172㎝、体重48㎏、ウエスト50㎝

という驚異のスタイルは、

遺された彼女のドレスからもうかがえます。

ウエストは本当に両手でわっかを作ったくらいしかないんですよね…

いくらコルセットで締めあげていたとしても、ありえない体型。

そのダイエットは壮絶なものでした。

わずかな食事

皇妃の食事の記録を見ると、

午前中のメニューは、

  • 牛乳
  • 紅茶
  • ブイヨンスープ
  • 卵 白身のみ

昼食

  • 肉 ただし少量
  • 野菜
  • アイスクリーム

これだけ。

常に低たんぱく、低カロリー、低脂肪。

肉は牛や豚は避けて、カモや鹿の肉をたまに口にする程度だったそうです。

もしくは

牛の生肉をしぼって、その肉汁だけを飲んでいました。

食中毒のおそれがあるので、絶対にマネしてはいけません。

ですが、当時は滋養強壮にいい、エナジードリンクのようなものとされていました。

夜は晩餐会なども多かったようですが、

エリーザベトはほとんど出席していません。

極端に人嫌いというのもありましたが、

コース料理なんてダイエットの敵なので食べたくない、というのもあったのかもしれません。

乳製品へのこだわり

エリーザベトは乳製品にこだわりを持っていました。

栄養はほとんど乳製品からとっていたといってもいいくらい。

1895年にはシェーンブルン宮殿内にエリーザベトのための乳製品製造所がつくられています。

ここに乳牛が飼育され、牛乳、チーズ、生クリーム、バターが作られました。

スイーツの誘惑

厳しい食事制限の一方で、お菓子はやめられなかったようです。

ダイエット中の誘惑…

すごくわかる。

チョコレート、ケーキ、果物やスミレの花の砂糖漬け…

エリーザベトが愛したというスイーツがいくつも伝わっています。

アイスクリームやシャーベットは毎日のように口にしていたようです。

食事制限の反動ですね。

過酷な運動

スイーツを食べてしまった罪悪感と戦っていたのでしょうか…

エリーザベトは、極端な食事制限に加えて過酷な運動もしています。

1日に何度も体重計に乗ったり、採寸をしたりして、少しでもオーバーしていると、運動をしました。

その様子は、映画『エリザベート1878』でも描かれています。

スポーツ選手ばりの運動量に裏打ちされたシシィの立ち居振る舞いは、

運動不足の貴族女性の中にあって、しなやかで優雅であったといわれています。

乗馬・水泳・競歩

エリーザベトが乗馬が得意でした。

サーカスの曲芸のようなものや、

ドレスのまま横乗りになるスタイルも生み出したとされています。

一流の騎手ばりの腕前で、野を越え山を越え、落馬もものともせずに疾走しました。

また、水泳やフェンシングもやりました。

散歩も好みましたが、何時間もぶっ通しで速足で歩く競歩のようなもので、

女官たちがついていくのが必死だったといわれています。

このエピソードはミュージカルでも描かれています。

体操

ホーフブルクのエリーザベトの部屋には、彼女が使っていた体操用具が残されています。

ぶらさがる木のはしごや平行棒を王宮のツアーで見学できます。

放浪の旅を重ねていた皇妃ですが、

旅行先でも吊り輪や平行棒、ダンベルなどが持ち込まれていました。

他の別荘や宮殿にも体操器具を作らせています。

ダイエットの代償

シシィの美しさは人目をひき、人々の評判になりました。

美しい皇妃を一目見ようと外国からも要人が口実をつくってやってきたほどです。

1873年のウィーン万博の際には、エリーザベトの美しさを目にした人たちが

彼女の美貌を称賛する手記を多く残しています。

一方で、過酷なダイエットは確実に彼女の心身を蝕みました。

体調の悪化

極端な食事制限と過酷な運動。

ただでさえ、窮屈な宮廷生活で精神を病んでいた彼女ですが、

ダイエットは体調の悪化に拍車をかけました。

躁鬱病に栄養失調、貧血、骨粗しょう症などなど。

ノイローゼの状態は現代でいう摂食障害の状態であったといえます。

飽くなき美の追求

過酷なダイエットで心身を病んでも、シシィがダイエットをやめることはありませんでした。

ダイエットや美肌に効果があるときけばあらゆることを試しましたし、

何時間もかけてコルセットのひもを限界まで締め上げました。

美しさを保つために努力をすることは、彼女にとっての全てでした。

彼女にとって美貌は権力そのもの。

まれにみる美貌は心の支え。

第一の礼賛者は皇帝フランツヨーゼフでした。

年老いた姑ゾフィーへの当てつけでもあったでしょう。

美を保つことは彼女自身のためであり、ナルシズムの極致であったと思われます。

『皇妃エリザベートの人生~ハプスブルクの華~』

落日のハプスブルク帝国で最期に咲いた華。

おとぎ話のような結婚と、苦悩に満ちた人生。

逃避につぐ逃避の旅。

エリザベートの人生をひも解き、彼女の生きた意味を探ります。

『皇妃エリザベートの人生~ハプスブルクの華~』

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この記事を書いた人

つきねこ(絹川詩乃)
ミュージカルの観劇をきっかけに皇妃エリザベートに沼る。
ドイツ語、ドイツ文学、宗教学を専攻。
オーストリアに留学。
執筆:『ミュージカルエリザベート全楽曲解説』『皇妃エリザベート~ハプスブルクの華~』

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